2019/04/22

 

マルと遊んだ。

 

そこには猫もいた。自分は家の窓際に布団で寝ているようで、よく晴れた日中のことだった。マルは大きくはっきりとした瞳で自分を見ていた。自分はマルをずっと撫でていた。おなかのところがふっくらとしていて暖かかった。その様子が相変わらず可愛くて写真を撮った。撫でながら「あぁ、やっぱり本当に好きだなぁ」とぼんやり思った。元気に歩き回ったり跳んだりしていたのでリードをつけた。よくつけていた虹色のリード。そしていつものようにマルを抱き抱えてリビングで寝ている親の元へ行ってこう言った。

「あの川へ散歩をしに行こう。」

 

マルがとても元気なので自分は親に尋ねた。

「マルくんは、いつだっけ?」

親はこう答えた。

「7日の水曜日だよ。」

カレンダーをしっかりと見た。確かに水曜日だった。

マルを抱き抱えながら、こんなに元気なんだからもしかしたら水曜日もこうなんじゃないか?と思った。そしたらあの場所に行かなくて良いのではないか?とも思った。

自分があの漫画の忍者だったならば。

確か生き返らせる方法があったはずだ。。。

いや、それは違う。転生なら良いが、連れ戻して生き返らせるのは違う。それは執着で、マルの足を引っ張ってしまう気持ちだ。

自分はマルのために祈ること。これからもずっと祈ること、マルが更なるたかいところへ穏やかにいるよう、祈ること。

 

そこで目が覚めた。

暗くて静かだった。カーテンからは外の光が漏れて天井へ青く差し込んでいる。

真横にあった携帯をみる。撮った写真も、勿論そのデータは無い。

夢だったんだ、と思った。そこでようやくわかった。

あまりにもリアルで、しばらく呆然としていた。

 

猫はいつもマルが夢に出てくると一緒にでてくる。一緒に行動をしているのだろうか。

夢の中で自分の布団が置いてあった位置はマルの布団があった位置だ。今もある。もっとも、マルはそこでも寝たし、人が寝るあのサイズの布団もよく使っていた。マル用として親の布団の隣に出していた。マルは教えてもいないのに、折りたたんだタオルの上に頭をのせ、ど真ん中に寝ていた。自分たちとまさに一緒。マルは最期、その布団で息を引き取った。

亡くなる前は目もうまく閉じれなくなっていた。自力で歩くこともできなかったし、身動きを取ることもできなかった。

亡くなった日もそれからもマルを撫でていた感覚を思い出す。マルはとても柔らかかった。おなかのあたりが、すこし冷えてはいて、少しおしてみるとその分へこんで、またもどった。

虹色のリードを買った時の心持ちもよく覚えている。その前は青いリードだった。それがボロボロになってきたので近所のホームセンターに行った。そこで一つ、虹色のリードを見つけた。今までは落ち着いた色だったので今度は明るい柄にしようと思った。あれは自分がまだ学生のときだった。

マルを抱き抱えたとき、心臓を圧迫しないように気をつけた。あの重みが夢の中でもリアルで、まただっこできたことがとても嬉しかった。

親の元へマルを連れて行ったとき、マルはぺったりと親の側へいった。親はマルを撫でる。見ていてとても微笑ましい気持ちだった。

夢の中では、どうやらマルが亡くなっていたことは理解していたようだ。

夢の中でカレンダーを見た。

七日の水曜日というのは、マルを火葬した日。

カレンダーをみたときに、二日後かと思った。

三月五日はマルが亡くなった日だ。

亡くなってとても悲しくて泣いていた。もしかしたらあの時、もう既に元気に歩くことができていて、六日に一緒に海やお寺やあの川へ行ったときも元気な姿で一緒にいたのかもしれない。

今日は、三月五日から数えて48日目。マルが亡くなったのは本当に零時頃だ。そうすると48日もしくは49日。

昨年の49日にはマルが紅色の大きな鳳凰になって羽ばたいた夢を見た。そしてこれまでそういった慣習や世界をあまり意識しなかった自分だったが、その夢を見て、一つ安心をしたのを覚えている。

あれから、一周忌にお坊さんにお経をあげていただいて塔婆をたててもらったり、一昨日もお経をあげていただいた。

マルくんが更に穏やかに暮らせるように、自分はこれからも祈り続ける。

遊びに来てくれてありがとう。

これからもずっと一緒。

ずっと愛しています。

ずっと一緒だよ。