2019/04/17
小学生の頃の夢をみた。
自分のなかで、小学生の頃といえば、いわゆるなんでも出来て思い通りになった楽しい日々。
勉強で困ることはなかったし、書道や絵をかけば賞に入るし誰とでも分け隔てなく話せた。
「あの子なら無理だけど、自分はできる」のが当然だったので、その自信が根拠がなくても常に自分のどこかにあるようになった。
その根強い自信で今日まで駆けてきた。
そして今日、あの頃の夢をみた。
自分が忘れ去っていた嫌な記憶。成功に上塗りされて見えなかった失敗。根拠ない自信のまま会話した時に拒絶されたこと。衝突。そのときの周りの動き。場所を変えれば勿論そんな盾は無いので、その場所ではあらゆる場面でボコボコに罵倒されてきた。
一気に思い出した。
自分が、たのしいことしかなかったと信じていた日々はそうでもなかったこと。
あのとき、そう思った場所で自分にあったのは、周りよりも上の学力。
それだけが唯一の盾だった。
中学、高校へとすすみ、学力の盾も次第に剥がれてくる。
根拠のない自信で、友人もいた。なんでも話せると思った。実際はそんなことはない。あのときはまだ学力がある方だったから、それで自然とああなったわけだ。あのときの友人も、いざ自分より上に立ったと自覚した瞬間に、みんな牙をむいて攻撃をしてくる。今の自分には盾がないからそういう攻撃を受けてしまう。
何故、社会人になっても勉強をできないながらも続けてきたのか、ようやくわかった。
盾が欲しかったんだ、自分には外見も人を惹きつける性格も飛び出た才能も何も無い。
せめて学力があれば、攻撃から身を守ることができる。攻撃をしてくる人間は年齢性別を問わない。
よく今まで記憶を改竄したままあのときの幻想を引き摺ってきたと思う。そりゃ、間違いだから、その幻想を元に人や物事と対面したって失敗するに決まっている。
決して自分の人格をみて、まともに会話をしてきた人はいなかった。
あのとき手放しにたのしんでいた日々は、学力によって守られていた日々だったんだ。